創作怪談「寒いの」
道路の端一杯に車体を寄せて、速度をグンと落とす。
あと数メートル走行したら、僕の運転する車はエンストし停止してしまうからだ。
気の抜けた音と共にエンジンが停止し静寂に包まれる。
傍らに置いていた煙草を手に取り火を点ける。
細く煙を吐き出しながら、道路わきに目をやる。
うっそうと生い茂る背の高い雑草の海の中に、ぽつりとプレハブ小屋が浮かんでいる。
窓は全て割れ、中はまるで墨汁をなみなみと浸したかのように真っ暗で様子をうかがい知ることはできない。
煙草を半分吸い終えたところで、吹いていた風がぴたりと止んだ。
来る。
建つけの悪いプレハブの引き戸が、息継ぎをするようにひとりでに開いていく。
人一人がすり抜けられるほどのスペースが出来たところで扉は動かなくなる。
プレハブからほど近いところにある雑草の体が揺れる。相変わらず風は止まったままだというのに。
その揺れはゆったりとした感覚でこちらに向かってくる。
道路との境目の草が分かれ、ヒタ、ヒタ、ヒタと今度はコンクリートの上を裸足で歩くような足音が伸びてくる。しかし足音の主の姿は見えない。
車の横で足音が止まる。
運転席を覗き込む視線を感じる。僕は少し顔を上にあげると、その視線を真正面から受け止める。
気配が僕の耳元に移動する。鼻先を何かがくすぐる。
「寒いの」
か細く少し震えた女の声が、僕の耳に溶け入って消える。
みぞおちのあたりが苦しくなり、僕は少し顔をしかめた。
しばらく見つめあった後「彼女」は踵を返し、プレハブ小屋の中に帰っていった。
閉じられた扉を、僕はしばらく見つめていた。止んでいた風が吹き始める。
エンジンを掛け、その場を後にする。
「寒いの」
「彼女」の言葉、声音を頭の中で反芻する。
「彼女」はもちろんこの世のものではない。
あのプレハブ小屋の中で死んだのか、殺されたのか。はたまたあてどなく彷徨う内にあそこにたどり着いたのか。
「彼女」に出会った当初はそんなことを考えていたが、今はもうどうでもいい。
僕はあの声に魅了され虜になってしまっている。
僕は「彼女」に恋をしている。
* * *
そんな話を友人から聞いた次の週、友人がプレハブ小屋の中から発見された。
暗く荒れ果てたプレハブ小屋の中に横たわり、何かを胸に抱いているような形でこと切れていたそうだ。
とても穏やかな表情で。
その女の霊もこれで成仏するかもと思ったが、いまだにそのプレハブ小屋の怪談話が耳に届くことがある。
「彼女」は今も、ぬくもりを求め続けているのだろうか・・・・・・。
END